2016年09月11日
【広島&大阪ツアー】① 〜広島
8月31日〜9月1日に
スクールの希望者とスタッフら計16人で行ってきました!
8月31日夕方18時半に
スクールの車二台に分乗してスクールを出発
大阪までほとんど休憩もなく行きました
そして10時過ぎに大阪に着き、
夜行バスに乗り換えて今度は広島まで。
朝6時広島駅に着いて朝食を
みんなそれぞれの好みがあるんで、
がっつり和食、軽めにカフェ、安上がりにコンビニ
という3つのコースに分かれました 笑
そして
平和公園に移動。
8時15分に黙祷した後、近くにある市役所へ。
平和推進課の村上さんが、
先に送っておいた20箱以上の段ボールを用意してくださり
みんなで「平和の子の像」のところにある
鶴の展示スペースに運び、箱から鶴を出して飾りました
その後はみんなで資料館を見学。
みんな原爆被害の悲惨な現実を、
それぞれのペースで
しっかりと脳裏に焼き付けていました。
その後は体験者のおじいちゃんによる平和講座
当時小学生だった8月5日に体験したことを
生々しく語ってくださいました。
そして、その後にみんなの質問に答えてくれました。
戦争が始まると
学校の内容がガラッと変わってしまったこと。
空襲を避けるために東京から広島に疎開したけれど、
東京「訛り」を理由にいじめられたこと。
勉強するのではなく、
「建物疎開」などの作業に駆り出されていたこと。
原爆が落ちた瞬間にお母さんとともに吹き飛ばされたこと。
自分をかわいがってくた隣のきれいなお姉さんが
見るも無残な姿で助けを求めていたこと。
その後、命からがらおばあちゃんの家まで避難したこと。
そこへ、お父さんが夜を徹して歩いて
生き延びたお母さんと赤ちゃんだった弟を迎えに来てくれたこと。
そして、今の社会の雰囲気が戦争前の雰囲気とそっくりだということ。
涙が自然と溢れてきてしまうほどずっしりと重い話でした。。。
そしてそれ以上に心に突き刺さったのは
「数年前まではずっと
この体験を人に話すことはできなかったけれど、
生きているうちに話して後世に伝えなければという想いで
こうして皆さんに話すようになりました。」という言葉でした。
以前スクール生と録画し記録して集めた
おじいちゃんたちの「戦場体験」のお話の際にも
たくさんのおじいちゃんが同じことをおしゃっていました。
戦争の恐ろしさと悲惨さ、そして愚かさ。
それは誰もが被害者となり、加害者となってしまうこと。
誰もが「戦争はやめよう」と言いますが、
始めてしまえばどちらの国民も
真実を知らされることなく国家によってコントロールされ、
理性を失い、人を殺すことが正義となってしまいます。
原爆を落とすことでさえ、当時のアメリカにとっては
「正義」とされてしまいました。
そういった悲惨な体験をしているからこそ
いくら周囲の国の政府が酷いと思っても、
こちらから積極的な対話を続けなければいけないし、
ましてやアメリカの戦争に加担するなんて、
まともな神経とは思えません。
戦争を「仕方のないこと」であり「正義」である、
と考えてしまう人が増えてしまったのは、
戦争の悲惨さ愚かさを直接体験した人が
どんどん亡くなって少なくなってしまっていることも
大きな理由の一つなのかもしれません。
そんなことを重く考えさせられた半日でした。
午後は昼食からそれぞれの好みに合わせてグループ行動に
そしてその後は、
宮島コース
マツダスタジアムコース
エディオンコース !?
などに分かれました☺️
宮島コースの様子をどうぞ!!
みんなの集合は16時に広島駅に。
そして16時45分発の高速バスに乗って、
大阪へと向かったのでした〜
スクールの希望者とスタッフら計16人で行ってきました!
8月31日夕方18時半に
スクールの車二台に分乗してスクールを出発
大阪までほとんど休憩もなく行きました
そして10時過ぎに大阪に着き、
夜行バスに乗り換えて今度は広島まで。
朝6時広島駅に着いて朝食を
みんなそれぞれの好みがあるんで、
がっつり和食、軽めにカフェ、安上がりにコンビニ
という3つのコースに分かれました 笑
そして
平和公園に移動。
8時15分に黙祷した後、近くにある市役所へ。
平和推進課の村上さんが、
先に送っておいた20箱以上の段ボールを用意してくださり
みんなで「平和の子の像」のところにある
鶴の展示スペースに運び、箱から鶴を出して飾りました
その後はみんなで資料館を見学。
みんな原爆被害の悲惨な現実を、
それぞれのペースで
しっかりと脳裏に焼き付けていました。
その後は体験者のおじいちゃんによる平和講座
当時小学生だった8月5日に体験したことを
生々しく語ってくださいました。
そして、その後にみんなの質問に答えてくれました。
戦争が始まると
学校の内容がガラッと変わってしまったこと。
空襲を避けるために東京から広島に疎開したけれど、
東京「訛り」を理由にいじめられたこと。
勉強するのではなく、
「建物疎開」などの作業に駆り出されていたこと。
原爆が落ちた瞬間にお母さんとともに吹き飛ばされたこと。
自分をかわいがってくた隣のきれいなお姉さんが
見るも無残な姿で助けを求めていたこと。
その後、命からがらおばあちゃんの家まで避難したこと。
そこへ、お父さんが夜を徹して歩いて
生き延びたお母さんと赤ちゃんだった弟を迎えに来てくれたこと。
そして、今の社会の雰囲気が戦争前の雰囲気とそっくりだということ。
涙が自然と溢れてきてしまうほどずっしりと重い話でした。。。
そしてそれ以上に心に突き刺さったのは
「数年前まではずっと
この体験を人に話すことはできなかったけれど、
生きているうちに話して後世に伝えなければという想いで
こうして皆さんに話すようになりました。」という言葉でした。
以前スクール生と録画し記録して集めた
おじいちゃんたちの「戦場体験」のお話の際にも
たくさんのおじいちゃんが同じことをおしゃっていました。
戦争の恐ろしさと悲惨さ、そして愚かさ。
それは誰もが被害者となり、加害者となってしまうこと。
誰もが「戦争はやめよう」と言いますが、
始めてしまえばどちらの国民も
真実を知らされることなく国家によってコントロールされ、
理性を失い、人を殺すことが正義となってしまいます。
原爆を落とすことでさえ、当時のアメリカにとっては
「正義」とされてしまいました。
そういった悲惨な体験をしているからこそ
いくら周囲の国の政府が酷いと思っても、
こちらから積極的な対話を続けなければいけないし、
ましてやアメリカの戦争に加担するなんて、
まともな神経とは思えません。
戦争を「仕方のないこと」であり「正義」である、
と考えてしまう人が増えてしまったのは、
戦争の悲惨さ愚かさを直接体験した人が
どんどん亡くなって少なくなってしまっていることも
大きな理由の一つなのかもしれません。
そんなことを重く考えさせられた半日でした。
午後は昼食からそれぞれの好みに合わせてグループ行動に
そしてその後は、
宮島コース
マツダスタジアムコース
エディオンコース !?
などに分かれました☺️
宮島コースの様子をどうぞ!!
みんなの集合は16時に広島駅に。
そして16時45分発の高速バスに乗って、
大阪へと向かったのでした〜
Posted by さっさ at 20:03│Comments(0)