2023年08月11日

教育が変わるかもしれない第一歩 ⑤

今回の研究協議会の議題は、

・公的教育機関と民間施設との
連携の在り方について

そして

・県の補助金支援の在り方について

の2つでした。
そしてほとんどすべての時間が
この1つ目に費やされました。

「教育とは何か」
「不登校というものをどうとらえるか」
というところに立ち返って話ができたことは
とても有意義だったと思います。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

今まで書いた内容の他に僕は

「『教育』の範疇だと
『福祉』という意識が欠け、
『福祉』の範疇だと
『教育』という意識が欠けている。」
ということも述べました。

まず「教育」の範疇つまり学校教育においては
先生方が発達障がいを
臨床的に学ぶ機会が少なすぎるのです。

実際にはそういった特徴を持った子どもたちは
眼の前にたくさんいるのに、
それにすら気付かないことが多いのです。
もちろん一部の先生だとは思いますが、
先生の発達障がいへの理解不足と
誤った対応によって
子どもたちが傷付いたという相談は
後を絶ちません。

でももしかすると、
結局のところ、先生の感性や感受性によるのかも。
感性があって感受性の鋭い先生ならば
子どもたちが傷つくことも少なく、
周りから
子どもたちへのサポートの仕方を学んでも
スーッと吸収できるものです。

しかし
感性に欠け感受性の乏しい先生だと
どうしても自分基準や固定観念基準で
子どもたちにグイグイと押し付けたり
時には子どもたちを力ずくで従わせたり、
思い通りのことをさせようとしたりします。

周りから大切なメッセージを伝えても
耳から耳へと抜けてしまうものです。

発達障がいという知識に関しては、
近年、言葉としての情報は届きやすいのに、
それを今眼の前にいる子どもたちへの対応に
生かせていないことが非常に多いのです。

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その一方、「福祉」の範疇では

「そもそも教育とは何だろう?」
「療育とはどういうものだろう?」

という根本的な共通認識を持つ機会が
ほとんどありません。

みんな漠然と
「教育」とか「療育」という言葉を使います。

「教育」=「学習」と
「療育」=「訓練」と
思い込んでいる人も少なくありません。

これらは、
発達障がいに関する理解が広まっている
現在において
旧態依然とした価値観であると
言わざるを得ません。

なぜなら、
最初に書いたように
「学習」とは「教育」の一分野に過ぎず、
「学力」とは生活する上でのツールの一つ
時には進学のために一時的に使うツールに
過ぎないからです。

また
「療育」とは

「心身に障がいをもつ児童に対して、
社会人として自立できるように
医療と教育を、バランスを保ちながら
並行してすすめること。」
と言う意味だそうですが、
ここでも「教育」という概念の捉え方によって
大きく異なります。

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一方では
「教育=訓練」と捉える人たちがいます。
特別支援学校や支援級の先生
特にベテランの先生の中に見受けられますが
「生活習慣を身に付けさせるために
決まりを守らせ、心を鍛え上げる」ことが
教育だという考え方です。

もちろんそういうアプローチが
必要な場面もありますから、
全否定はしません。

しかし、自我が確立されていたり
感受性の高い子どもたちにとっては
「躾けられる」「訓練される」ということが
時に子どもたちを抑圧し、プライドを傷つけ、
苦痛を感じさせるものであるということを
知るべきでしょう。

その一方で
「教育=学習」と捉える人たちもたくさんいます。

そういう人は最近特に増えていますが、
IQが高めで発達の特徴を持った子らへの支援は
学習をサポートすることだという考え方です。

発達障がいに関して理解のある福祉関係者
保護者の皆さん、
そして放課後等デイサービスを
運営する人たちにも
そう考える方はたくさんいらっしゃいます。

これに関しては、
これまで何度も書いてきた通りです。

これら2つの捉え方は近視眼的なものであって、
時には
生きる上で役に立つこともあるかもしれないけれど
「社会への自立」そして
「幸せな人生を送る」という本来の目標のために
必要不可欠なものとは言い難い。
僕はそう認識しています。

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「『教育』とは本来、自らが学び、“覚醒”すること」

「学びの機会はプログラムされた『学習』に限らず
生活の中のどこにでも転がっており
人と関わることによってその機会は倍増する。」

「教育の目標とは、自分の生き方を
より良い方向に主体的に選択し、権利意識を持ち、
他人を認め、自らも認められ、
互いに支え合えるような人として
育つことである。」

僕は自分が学んできた実存的教育学の中から
教育とはそういうものだと認識しています。

だから個人的には、
もともと人それぞれが持っている
「発達障がい」とカテゴライズされる特性に対して
必ずしも「医療」が必要ではないのではないかと
「療育」と言う言葉そのものに
違和感を覚えることがしばしばあります。

会議ではここまでは話せませんでしたが、
こういう「教育」の本質論を含めて、

「もっと教育、福祉、医療とが連携すべきだ。」
と述べました。

もうひと息!!
教育が変わるかもしれない第一歩 ⑤
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フリースクール、ドリーム・フィールドのスタッフです~  得意なことは天然トークと忘れ物です(笑)  キーボードとコーラス、フルートも吹きます。  オーボエを吹いた時代もあるなあ~  浜松学芸高校を中退してスクールで働き始めて5年目、通信高校の?年生だよ!  よろしくね!
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