第1回「個性ある子どもたちが輝く社会」 ③
3人目の登壇者は友愛のさと診療所の遠藤雄策先生。
発達障がいに関しては県西部でも有名な先生。
想いを共有してくださり、日ごろお世話になっています。
アラビア語によるお茶目な自己紹介、
ドリフ事務室の僕の机と同じくらいに乱雑な
遠藤先生の机の紹介から、
通常学級在籍児童で教育的配慮が必要な児童数の紹介、
浜松市における発達障がい早期発見の取り組み紹介
といった流れで話は進みました。
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2017年度
浜松では1歳半健診を受けた子のうち
32.8%の気になる子をその後もフォロー、
そのうち17.9%を発達障がいの疑いありとして
丁寧にフォローしたそうです。
そしてそれ以外で
2017年度の新患のうちの
なんと60%は
「広汎性発達障がい」と診断されているそうです。
その「個性ある子どもたち」の実例を見ると
まさに「あ、俺じゃん! 」というのがたくさん(^^♪
自分はADHDの要素てんこ盛りなんです 笑
そして印象的な説明が。
発達特性はそれぞれにあるけれど、
社会適応が何とかできた場合は「個性」と見られ、
社会適応できてない場合は「障がい」と判断される。
まさにその通り。
僕はいつも
「誰もがみんな障がい者」と言いますが、
僕自身もADHDの特性がありながらも、
何となく自分の特性を生かして生きて来れて
社会の中で暮らすことができているから
「個性」と思われているだけであって、
本質は「障がい」と同じなんですよね。
それは僕に限らず誰もがみんな同じ。
最近、自分の子どもに向かって
「あんたは障がい者なんだから」
などと言い放つ親を最近見かけましたが、
そういう親自身も障がい者なんですよね。。。
親は何とかその特性を生かしてきただけ。
大切なのは、特性をどう生かしてゆくかということ。
線引きして切り離すだけでは何の意味もない。
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そこで遠藤先生が心がけているのは
「レッテル貼り」をしないということだそうです。
これってすごく大事なこと。
大人はややもすると
聞きかじった知識だけで子どもに、人に
レッテル貼りをしてしまいがち。
「この子は~という診断だから~できるはずない。」
「発達障がいだから~に決まってる。」
逆に
「この子は普通の子だから~できるはず」
「~できないのは努力が足りないから」
などというレッテル貼りもあります。
それは医師や私たちのような立場でも言えます。
子どもたちの成長は誰にも決めつけられません。
大人の想定以上のビックリするくらいの成長もあるし
想定とは程遠いゆっくりとした成長もあります。
その変化は、時期や環境によっても違います。
だから、診断を絶対的なものと考えてしまうのは
子どもの成長を見守る上で、
大きな誤解を生んでしまうものなのです。
遠藤先生は言います。
「正直、診断はどうでもいいものなのです。」
つまり、大切なのは「特性の理解」であり、
診断名ではないということです。
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そして余談ですが、
どの子にも「自立」という成長があります。
そのスピードもタイミングも程度も違いますが、
どんな子にも「自立」への芽生えや変化はあります。
親が小さいころから支配的であったり
時には過干渉であったりした子は、
親の支配や時には共依存が強ければ強いほど、
子どもの
自立への煩悶、親への反発、幼少期の反動などが
大きなものとなります。
そしてこの時期に
親が良いタイミングで上手に手を放したり
第三者がうまくサポートや方向付けをすることは、
その後のその子の成長を大きく左右するくらいに
重要なことです。
まさに今ドリフで、
同様の事例に現在進行形で直面しています。
その子とは別の子で、
遠藤先生と私たちドリフが共通して
サポートしている子の実例なども紹介してくれました。
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そして遠藤先生が取り組んでいる
「JUICE CLASS」の紹介をしてくれました。
これは、学生らのボランティアによって
生活困窮などの理由で学習支援が必要な子らへ
勉強などを教えてあげるというものです。
こうした取り組みによって
自己肯定感を取り戻すことのできた子も
たくさんいます。
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最後に遠藤先生は
「個性ある子どもたちが輝ける社会にするために」
というメッセージを列挙してまとめてくれました。
1.医療でできることは「評価」「治療」「伴走」
2.どの子にも「公平な機会」と「選ぶ権利」が必要
3.子どもの時期から「一緒に過ごす教育」が必要
(診断によって区別しない真のインクルーシブ教育)
4.もっと子どもたちに「人」「お金」「選択肢」が必要
私たちも常日頃
医療機関や児童相談所などと連携する機会は
数多くありますが、
今後も連携を取ってゆくことが大切だと
改めて勉強させていただきました。